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越川橋梁(第一幾品川橋梁)

今回は知床方面には向かわず、R244を通って斜里方面に向かいました。

どうしても見ておきたい場所があったので。


ところどころ圧雪になっている峠の道をしばらく走ると、見えてきました。


ゆるたん。

コンクリート製の大きな橋梁です。


ゆるたん。

とても大きなアーチ橋。


ゆるたん。

雪がなければすぐ傍まで近寄れるらしいのですが、かなり積もっていて
長靴でも無理だったので、少し離れから。

綺麗な形で本当に大きくて圧倒されます。



ゆるたん。

看板をズーム。
しかし見づらいのでこちらに転記。


第一幾品川橋梁(越川橋梁)
この橋は旧国鉄根北線のために昭和14年に着工完成した10連アーチ橋で
全長147m、高さ20mあり、当時のコンクリート建築技術を伝える建造物として、
また戦時下の過酷な労働を伝える歴史遺産として貴重なものです。
根北線は昭和32年に斜里~越川間が開通しましたが
越川橋梁までは線路が延びず、昭和45年に廃線となっています。
その後昭和46年の国道244号線の拡幅工事のため
橋脚が2本撤去され現在の姿になりました。


戦時中は鉄不足のために
鉄筋の代わりに竹などを用いていたのは、数年前に行った函館の戸井線アーチ橋でもそうでした。
この橋も同様なのだそうです。

そして、こちらも多くの犠牲を伴って建造されたにもかかわらず、
線路がここまで延びずに路線自体が廃止されたという、
一度も実用されなかった橋梁です。


また、この橋脚には「人柱」が埋められている、という話もあります。
当時、現場で働いていた方の証言や、
レーダー探査機が橋脚の内部に人骨らしき異物を発見しているらしく
そのような可能性が濃厚なのだそうです。

埋められているか否かは別にしても、11名の犠牲を出している記録があるらしく。


ここに限らず、開拓時代における土木工事の現場では
タコ部屋労働など過酷な状況で命を落とした人の遺体処理として
(葬式を出したり荼毘に付す余裕がない)、

あるいは賃金未払いを隠蔽するために、口封じに「人柱」の名目で埋められるケースも
実際には多々あったのではないでしょうか。
(鉄筋も使えなかったので、実質的な補強目的の人柱という考えもあったかもしれない)


このような、悲惨な歴史を持つ橋梁ですが
JR移行後、国鉄清算事業団の手によって取り壊される予定だったのが
斜里町の意向によって、保存されることになったというのがせめてもの救いなのかもしれません。

こちらのサイトを参考にさせていただきました。


現在は、文化庁の登録有形文化財に指定されています。


実際は手が加えられずに放置状態のようですが
町の意向だけでも、評価されるべきものだと思います。





ゆるたん。

すぐ隣の国道をたまに車が通る以外は、川のせせらぎが聞こえるのみの場所です。



ゆるたん。

夏だと確実に見えないのでしょうが
この時期も、なかなか枝が深くて鮮明に見せてはくれません…

綺麗に見えそうな場所は、決まって雪が深いのです…


ゆるたん。
遠巻きだと、アーチがずっと連なっているのがわかります。

国道を跨ぐ部分は撤去されてしまいましたが
いずれにしても、かなり規模の大きな建造物であることには変わりません。


長く残ってほしい遺産のひとつです。



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